卒業生の声

願いが叶い、第一志望の東京大学に合格できました!

文科三類 Y.A

高校時代の勉強は、どの教科も基礎を重視することに心がけました。
教科書を何度も読み、繰り返し覚えることで、東京大学への入試対策はほぼ大丈夫でした。 
様々な参考書や塾、予備校に頼るより余程現実的で身近な勉強法だと思います。
後輩の皆さんも、大学を最終目的にするのではなく、その先の将来を見すえて勉強に邁進してください。

浜松医科大学に合格!血液内科医を目指します!

医学部 医学科  A.S

日体高校で一番印象に残っているのが、放課後に数学のプリントを解いていたこと。
それくらい数学には力を入れていました。でも、私が居たクラスは勉強だけ ではなく、文化祭とか、体育祭にも力を入れていて、楽しかったという思い出があります。
日体は何でも自主的に取り組める人、勉強に集中したいという人には 最適な高校だと思います。
私は志望の浜松医科大学に合格し、目標への第一歩を踏み出すことができました。
将来は外科的な治療のできない血液の病気でつらい思いをしている人たちの助けになりたい、と思っています。

立教大学に合格。歴史を学びたかったので史学科と決めていました。

文学部 史学科 S.S

1,2年の頃は授業中心に勉強し、本格的に受験を意識した勉強を始めたのは3年の夏休みです。3年の始めは生徒会もあり、まとまった時間が取れていなかったので、そこまでは定期テスト勉強の方に力を入れていました。そして夏休みはほぼ毎日自習室に通い、苦手な教科中心にじっくり取り組みました。夏休みは苦手教科の英語に特に時間をかけ、集中力が切れてしまったら好きな教科の日本史や古文をやっていました。直前期には日本史に比重を置き、英単語帳や一問一答などは空き時間があれば常にやっていました。また、一日のリズムを作ることが大切だと思います。私の場合は、夜は12時までには寝て朝5時半に起き、勉強してから学校に行きました。全ての教科に共通していえることですが、基本は授業です。1時間集中し、わからなければ先生方に質問しに行けば必ず解決してくださいます。毎日その積み重ねです。

勉強は大変かもしれませんが自分の中で面白い!と思えるようになればどんどん力はつきます。実際、私も洋楽や洋画が好きだったので興味を持って単語を覚えたり長文を読んだりできたし、古文の魅力に気付けば文章を読むのも楽しくなります。

また、夢を持つことは不可能だと思っていたことを可能にしてくれます。私は模試がなかなか伸びなかったり、思うようにいかなくなり何度もくじけそうになりましたが、その度に将来の自分を思い浮かべやる気に変えていました。そして自分のことしか見えなくなりがちな受験期だけれど、両親、先生方、友達多くの人が支えてくれているからこそがんばることができるという環境に感謝し、恩返しのつもりで勉強するということも大事なことだと思います。

高1の時から決めていた第一希望の東京外国語大学に合格!

言語文化学部ロシア語学科 M.Y

第一志望は高1の時に決めました。面談で自分の興味のある分野を先生に伝え、先生がこういう学校があると教えてくださったのでオープンキャンパスに行きました。そこで、学部長の方が「外国の人を見るとわくわくする人はこの学校がぴったりです。」とおっしゃっていたのがきっかけで、この大学を目標にしました。その後、英語や世界史の授業,イギリス語学研修,韓国からの留学生との出会いなどを通して、自分が何を学びたいのかが明確になっていきました。

受験勉強だと意識するようになったのは高2の冬くらいからだったような気がします。それまでは授業の内容を理解すること、宿題をきちんとやることだけを意識していました。正直、受験勉強といっても何をやればいいかわかりませんでしたがとにかくセンターに向けて勉強していました。私はセンター1ヶ月くらい前まで

国公立の対策は過去問と代ゼミのサテラインでした。2次対策をしていて、自分は出願者の意図を全く理解していなかったのだと気づきました。センターに向けてただただ暗記した世界史は求められていませんでした。英語の要約、意見文、世界史の論述、小論文といったものはとにかく書いて先生方に添削していただきました。はじめは怖いし、恥ずかしかったけれどたくさん添削してもらえば慣れます。勇気を出して、もっと早く見てもらえばよかったと思ったこともありました。自分ではうまく書けたと思っても他人に見てもらうことで自分が気づかない発見もありますし、何より先生方と話すことで気持ちが軽くなりました。

いつもではありませんが、勉強していて楽しいと感じた時もありました。やはり、楽しく勉強するのが1番です。多くの人が応援して、支えてくれました。受験生は本当に幸せだと思います。

中高一貫のアドバンテージがあつての京都大学現役合格!

薬学部薬学科 N.S

「京都大学」と具体的な名前が上がったのは中学2年生の三者面談の時だった。当時はまだ受験に対するイメージが薄く、漠然としか考えていなかったが、他に興味のある大学が無かったため志望校を書く際にオープンキャンパスを見学に行き、その折に京大・阪大等関西の難関大学を目指す受験生が集まる予備校のセミナーに参加し、とても刺激を受け「意地でも京大」と言い張るようになった。受験までに親や先生から多く所謂「滑り止め」の私立大学や中期・後期の国公立大学を勧められたが、すべて拒んで「背水の陣」とし自身を奮い立たせていた。また、初めに京大を勧めてくださった先生には中学校3年間担任、そして6年間英語担当を務めていただき「ここで志望校を下げる訳にはいかない」と思って必死で勉強した。

生徒会長を務めていたため3年の6月までは忙殺され、勉強に費やせる時間は少なかった。しかし、それと同時に趣味に当てていた。時間も失われていたため、文化祭の後からは放課後などの時間を勉強時間にシフトすることができた。8月の初めには再び予備校のセミナーに参加し、同じ京大志望の受験生や実際の京大生と接触し、モチべーションがとても高まった。夏休みはほぼ毎日学校に来て、数学の過去問、英作文の練習、化学の予習をしていた。その後は予備校には一切通わず、すべて独学で勉強した。センター試験までは大部分を日本史の勉強に充て、総合演習で数度学年1位も取った。センター後はひたすら過去問を解き、家庭学習期間も学校に来て先生に手伝ってもらいながら勉強を続けた。

高3の秋から猛チャージで名古屋大学へ!

農学部 応用生命科学科 R.M

僕が受験校を決めたのは二年生の夏でした。その時はたいして情報を集めた訳でも、他人と相談して決めた訳でもなく、自らが興味を持つ生物学について学びやすいだろうという漠然とした理想という程度のものでした。より明確な意思と理由を伴って受験校を決めたのは3年の秋に入る頃でした。周りは夏から志望校目指して受験モードに入っている人も多かったので、焦りと不安感に押し出されるようにして様々な大学の資料を見て、そこで改めて自分のやりたいことを確認し、今までの志望校でそれを叶えたいと考えるようになりました。

まともに「受験勉強」という意識をもって試験問題や問題集を解き始めたのは3年生の秋からのことです。冬に入るまではセンター過去問、センター予想問題にも手をつけたことはありませんでしたが、ハッキリと苦手意識を持っていた数学や二次試験の教科に触れるようにしていました。冬に入ってからは逆にセンターのみに集中し、とにかく第一関門を越えようと考えていました。その時は二次レベルで勝負できるところまで自分が到達できるのか、ということにひどく不安を感じていましたが、今思うとセンター試験レベルの勉強、つまり教科書内容が丸々試験に出るレベルの勉強に一定期間集中する、という行為が各教科の苦手に慣れて、克服することに直結していたのだと思います。もしセンター試験の得点が必要ない人でも、苦手教科や苦手範囲が分かっているなら、有無を言わずに基礎に時間を掛けて慣れてしまうのが結局やりやすいのではないでしょうか。

何よりも大切なことは授業で覚えることは覚えてしまうことです。授業は目で見て、話を聞いて、自分で書き取って、皆とその授業を共有できます。受験期に一人で机に向かっているよりも遥かに多くの情報量を一度に得られますし記憶に残りやすいです。その機会を上手く使うことが結局都合が良いのではないでしょうか。